こちらは、完了メールマガジンのバックナンバーです。




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          自分探しの旅 with マーキー

            2002.10.15 NO.18  脳が見ている現実      
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  これからの僕たちの 本当の幸福は 一人一人
  が自分を見つめる ところから始まる
  大人だって 自分を知らないってことに関しちゃ
  全く子供と同じだったんだ それは
  世界中の人が学校で足し算を習うよりも
  もっともっと 大切なことなのに



■脳が見ている現実

近年、脳の研究が進み、脳のどの部分がどのような働きをしているのかが徐々
にわかってきました。
病気や怪我で脳の一部が損傷を受けると、今まで当たり前のように行なってい
た行動に支障が起こることで、その部分の機能が解明されるようになったので
す。

脳が右脳と左脳に分かれていて、それが脳梁という神経線維の束でつながって
いるのは知ってると思います。
では、この右脳と左脳が別々の働きをしていることが、どうしてわかったか知
ってますか?
1960〜1970年の頃、片方の脳のてんかんの異常がもう一方の脳に広がるのを防
げるということで、脳梁を切断する治療が行なわれたことがありました。
この右脳と左脳がバラバラになった患者に、いろいろなテストをしてもらうこ
とで、右の脳と左の脳の特殊性もわかったわけです。

右脳と左脳があるわけですが、どういうわけか脳と身体では右と左が逆転して
います。
脳の右半球は、身体の左半分を支配し、また左半分に支配されています。
脳の左半球はその逆で、身体の右半分を支配し、右半分に支配されています。
これを「交叉(こうさ)支配の法則」と言います。
身体の左半分から入る情報は、右の脳に行きます。
視覚においても同じで、自分の左側に位置するモノは両目で捉えられた後、右
の脳に行きます。
まず、脳のことを知るには、この「交叉支配の法則」をしっかりあなたの脳に
たたきこんでください。

脳梗塞などで右脳にダメージを受けると、身体の左半分が動かなくなってしま
ったりするのはそのためです。
この時、患者の脳は時たま不思議なことをします。
左半身が動かないという現実を受け入れまいとして、左側という概念そのもの
を消し去ってつじつまを合わせようとするのです。
これを「左半側(ひだりはんそく)空間無視」と言います。
その患者に、人を描いてくださいと指示すると、人の右半分しか描かないので
す。左の概念がなくなっちゃったからです。

僕たちの目から入った視覚情報は、電気信号となって神経細胞の中を通り、一
旦、後頭葉に送られ、その後、頭頂葉や側頭葉に送られて物を認識しています。
頭頂葉は、空間認識の機能を持っていて、方位、動き、距離感を判断していま
す。人ごみの中でも、誰にもぶつからずに歩けるのはこのお陰です。
また、側頭葉は、像の意味を認知する機能を持っています。

先程の脳梗塞などで、右脳の頭頂葉にダメージを受けていると、左半側空間無
視の症状が現れる場合があるわけだけど、右脳の側頭葉が健在な場合、左に位
置する物を認識できないわけじゃありません。
だから、もし僕が左半側空間無視になっちゃったら、食卓に大好物のお刺身が
並んでいても、それが左側に置かれていれば、お刺身があることは(側頭葉で
は)認知していながら、(頭頂葉が無視するので)食べることができないとい
うちぐはぐなことが起こります。ああ、くやしい。
だから、お刺身は右側に置かなければいけません。‥‥っていう話じゃあなか
った。


今度は側頭葉にダメージがある人の話です。
この患者は、物の意味を認知できません。
例えば、目の前に置かれているりんごを写生するように指示すると、きちんと
写生できるのに、それが何かは答えられないのです。
側頭葉には、特に顔の記憶を専門に引き受けている顔細胞というのもあって、
そこが損傷を受けると、自分の親しい人の顔もモザイクがかかっているかのよ
うにわからなくなり、知人がすぐ側を通りかかってもわかりません。
身につけているものや体型で判断するしかないわけです。
その人の声を聞いて、ああ、〇〇さんか、とわかります。
この症状を「相貌失認(そうぼうしつにん)」と言います。


「エイリアンハンド症候群」という珍しい現象があります。
脳梁がダメージを受けると右脳と左脳の情報伝達が失われ、片方の手が自分の
意志にそぐわない勝手な動作をしたりします。これをエイリアンハンド症候群
と呼んでいます。
例えば靴下を履こうとしても、片方の手は靴下を脱ごうとしてしまうのでいつ
までも履くことができなかったりします。


次は「シャルルボネ症候群」という現象です。
これは正常な人が見る幻覚と言われています。
僕たちの目から入った視覚情報は、一旦、後頭葉に送られ、その後、脳の各部
に送られて過去の記憶などに基づいてそれが何であるか解析されます。
この意味で、僕たちは、常に記憶によって都合のいいように歪められた世界を
見ていると言えるわけです。
錯視と言われる現象は、そのいい例です。
顔文字も錯視の仲間ですよ。

 U^9^U

並んだ記号が犬に見えるから不思議です。
今はちょっと作為的に記号を配置したわけですが、そうでないとしても、脳に
は勝手に知ってるものに置き換えて見てしまうという癖があります。
そこで、白内障などで視覚を入力する一部分が損傷を受けると、視覚入力のな
い部分を脳が記憶情報の一部を用いて補おうとします。これによって幻覚を見
てしまう症状がシャルルボネ症候群です。
葉巻を吸っている男の人とか、明るい玉のようなものとか見えるそうです。
それらは、過去の記憶から呼び出されたものを幻覚として見ているわけです。

例えば次の文章をどのように読みますか?
「のかきいしまのなやかすくりるきてすきくにれあいだは」
これは、今、まったくでたらめにパソコンのキーポードをたたいてみたのです。
これをそのまま漢字に変換してみます。
「野か奇異島の名や貸す栗るきて素聞く楡間は」
これは、僕のパソコンが意味不明の文章から、今までの記憶情報を用いて(僕
が使用する語彙の頻度に応じて)補って変換しているわけです。
この、まったくでたらめにたたかれた言葉の中に、僕のパソコンは「野」
「奇異」「島」「栗」「楡」などの幻覚を見ているとも言えます。
これと同じようなことが、視覚において、シャルルボネ症候群の患者の脳の中
では起こっているわけです。

しかし、脳神経科学者ラマチャンドランさんは、「人間は皆、いつも幻覚を見
ている。その中で一番現実に合ったものを選んでいるに過ぎない」と言ってい
ます。
僕たちは、常に過去の記憶によって歪められた現実を見ているという点で、あ
る意味、みんなシャルルボネ症候群と言えるわけです。
つまり、百人の人が同じ映画を見ても、百通りの見方をしているわけです。

今、「りんご」と聞いて、あなたは僕と同じ物を想像していると思いますか?
りんご自体も大きい物もあれば小さい物もあり、丸いもの、角張ったもの、赤
いもの、青いもの、腐ったもの‥‥、一つとして同じりんごはこの世には存在
しません。それでもみんなはそれを見て同じ「りんご」と認識します。それは
何故でしょうか?

その理由は、りんごが一つ一つは違うのに一括してりんごとして認識する共通
した概念(イメージ)があるからです。
だけど、厳密に言うとそのイメージさえも一人一人また違ったものです。
僕のイメージするりんごとあなたがイメージするりんごは、それぞれの経験を
通して記憶しているりんごなのです。
「りんご買ってきて」
と言われて、ちゃんとりんごを買ってくるのは、その経験を通して記憶してい
るものが近いというだけのことです。

僕たちは会話をする場合も、こうして、それぞれの近似値で話し合っているだ
けなのです。
要するに、言葉というのは、聞き手にはその人の取捨選択して再構成されたイ
メージで届くわけです。
人間は、お互いの言葉を自分の都合のいいように理解し合いながら会話をして
いたということです。


さて、現実とは何でしょうか?

「シャルルボネ症候群」の人に見える幻覚は、その人のどうにもならない現実
に違いありません。
「左半側空間無視」の人が見る世界は、それがその人の現実、「相貌失認」の
人が見る世界は、それがその人の現実です。
分裂病の患者の人が聞く幻聴も、その人には幻聴だとわかっていても、確かに
存在するのです。
多重人格の人が経験するたくさんの現実は、確かに人格の数だけ存在するので
す。
なぜなら、現実とは、脳が過去の記憶に基づいて見ている幻覚のことだからで
す。幻覚こそが、僕たちが現実と呼んでいたものだったのです。

そして、正常だと思われている人たちの現実ですら、その人の過去の記憶に基
づいて見ていた幻覚だったのです。
その幻覚が、異常だと言われている人たちよりも、より多くの人と近似してい
るという、ただそれだけで、僕たちは確固とした現実が存在すると思い込んで
いたのです。
でも、所詮、幻覚である限り、現実とは確かなものじゃなかったのです。
(つづく)

次週のテーマは「正常? or 異常?」です。





■編集後記

「人間は、お互いの言葉を自分の都合のいいように理解し合いながら会話をし
ている」と書きました。

「自分の都合のいいように」と言う場合の、自分とは一体何なのでしょう?
前回のメルマガを思い出してください。現代科学が捉えている究極の見方をす
れば、自分とは、たくさんの方向からやってくる膨大な量の刺激によって、動
かされていた操り人形でした。

自我とは何でしょうか?
僕たちは、しっかりとした自分というものが現実の中に存在していると考えが
ちです。
でも、今日見てきたように、その現実ですらあまりにも不確かなものでした。
自我がなければ人間は不安で生きていけません。そのため確固とした自分がい
ると思いたいのです。
脳はそのようにつじつま合わせをします。
そのことが、自我という幻想を作り上げてもいたわけです。
今では誰一人としてその妄想を疑いません。

しかし、自我がなければ不安だった時代は終わりつつあります。
今では、その自我が、むしろ様々な混乱と不安を引き出しています。
今、僕たちに必要なことは、まず第一に、自我というものが幻想に過ぎなかっ
たと理解することです。
第二に、幻想に過ぎなかったと理解しても、それでもしつこく存在する「自我」
とは何かということを知ることです。
それがわかった瞬間、僕たちは、今までの自我の幻想から一気に解放されます。
そのことで、心の平安を得ることができる時代に入ろうとしています。
僕たちの自分探しの旅も、その場所にたどり着くはずです。


ところで、この度、僕の産みの親でもあり、このメルマガの(名前だけの)発
行人でもある徳永真亜基自身が発行しているメルマガ「世界を平和にしない愛」
に、友情出演しています。
そちらも是非ご覧ください。







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